女教皇コミュランク4
「それじゃあ、気をつけてね」
「ああ、天城たちもな」
息抜き代わりのちょっとした会話を終えて、探索途中にばったり出くわした男の子たちが入ってきた扉から再び出て行く。
その背中を見送ってから、私たちもそろそろ行こうか、と隣に視線を向けると、彼女は誰もいない空間に向けてひらひらと手を振っていた。
心ここにあらずという表現がぴったり当てはまりそうな表情を見ると、同意を期待して投げかけた私の言葉はどうやら素通りしていったみたいだ。
「千枝?」
「ん? あー……ああ、うん」
名前を呼んでようやく目の焦点が私に合う。宙ぶらりんになっていた手を後頭部に当てたかと思うと、さするように撫でる。
その姿に違和感を覚えた次の瞬間、ハッと息が詰まる。
「もしかして、さっきの……!」
声に出すと同時に体が動いていた。
数十分前にシャドウとの戦いで気絶した時の影響が、今になって表れたのかもしれない。
扇子を取り出し、勢い良く振って展開させる。
こういうときはディアラマでいいのかな。それとも――
「あぁ大丈夫大丈夫、そういうんじゃないから」
アルカナのカードを割るまでコンマ数秒、というところで私の心中を見透かしたように千枝が制止する。
「しまってしまって」
軽い口調でそう言って、けれど笑顔を見せるわけでもない。
「……」
真偽を見定めようとその顔を見つめても、私にはりせちゃんのような分析能力は無いということを思い知るだけだった。
ぱち、ぱち、と、扇子を畳む音が妙に軽くて現実離れしている気がした。
数分、あるいは数十秒、もしくは一瞬の沈黙を経て、千枝の唇が動く。
「さっきの、リーダーとの話」
切り出された話題は脈絡があるのか、ないのか。
何を話したんだっけ、と一瞬思考して、あぁと思い当たる。
「お弁当作ろうっていう?」
「いやそっちじゃなくて」
「あれ」
違った。
それでも、呆れたように訂正する千枝の顔にほんの少し笑顔が戻ったのだから、良しとしよう。
「雪子がさ」
鈍く光る具足のつま先に視線を落としながら、独り言のように呟く。
その目がどんな色をしているのかは、眼鏡の弦に隠れてしまって今は見えない。
「色んな人とあれこれ喋ってるの見て、凄いなって思ったことはあったけど……寂しいっていうのは初めてだな、と思って」
「そう、なんだ」
「うん」
私の相槌を肯定して、更に強調するように付け足す。
「今まで一度も、全く、全然、一切感じたことなかったのに」
「……それはそれで、私が寂しい気もするんだけど」
私はあるのに。
それこそもう何年も前から、数え切れないぐらい。
いっそこの場で、軽めのエピソードをいくつか披露してみようかな。
私の気持ちを追体験することによって千枝に何らかの変化が生じるなら、積年の想いも報われて余りあるというものだ。
なんていうことを考えている横で、千枝が再び口を開く。
それは極々小さな声で、私たち以外誰もいない小部屋なのに、ともすれば聞き逃してしまいそうだった。
「こーゆー、なんかよくわかんないのが、なんと言いますか、その……こい、ってヤツなんすかね」
半ばふてくされたような投げやりな物言いに、思わずふき出してしまいそうになる。
茶色い髪から見え隠れする右耳が、うっすらと赤くなっているような気がするのは私の欲目だろうか。
「だったら嬉しいな」
「喜ぶなっつーの」
刺々しい台詞とは裏腹に声色が柔らかいのは、気のせいじゃないみたいだけど。
「あぁ~やだなぁこのヘンな感じ」
がっくりと肩を落としてうなだれながら、あ~とかう~とか、言葉になっていない呻き声を漏らしている。 かと思ったら「リーダーと話なんかしなきゃよかった」とあらぬ方向に矛先が向き始めたので、やんわりと軌道修正を図る。
そうやって千枝が唇を尖らせる理由も、わからないではないけれど。
「私は、千枝が私のことで困ったり悩んだりしてくれたら、嬉しいよ」
「うわぁ……ホントに嬉しそうなカオしてる」
「ふふ。千枝を困った顔にさせるの、結構好きだから」
「ゆがんでる……」
「えっ、そんなことないよ、全然!」
だって千枝の言う通り、恋ってそういう「よくわかんない」ものじゃない?
「……笑顔で言うようなことかなぁ、それ」
人差し指でこめかみを押さえながら千枝が呟く。
はぁ、と大きくついたため息が少しわざとらしい。
「あれ、やっぱり頭痛い?」
「誰のせいだと思ってんの」
きゅっと寄った眉根の下で、丸い瞳が真っ直ぐに私を捉えているのを見ると、確かにシャドウのせいではないようだった。